震災、母のはなし

2011年03月30日(水) 21時56分
「じごぐだったぁ〜。おらはぁ、ながいぎして、あいなのみせられっと思わねがったぁ〜」
地震後初めて聞く母の声。

震災から約半月経った先日、母と電話ではなしをした。
聞くところによると、前日に父と弟の3人で実家のある松島から車で30分ほどのところの、塩釜市やその隣の七ヶ浜町の被害状況を目の当たりにしたのだという。

想像を絶する世界だったのだろう。
少々の事では動じない母にしては珍しい、諦めと興奮が入り交じった、何とも表現のしようのない感情的な声が携帯の向こうから聞こえてきた。

「揺れだ、揺れだ、半端じゃねぇぐれ揺れだんだどぉ〜。おらぁ、びっくり、しゃっくりだったぁ〜」
地震当日の事も聞いた。
その日は地元の婦人会の会合で松島海岸にある観光ホテルに行っていたそうで、そろそろ解散といったあたりで大きな揺れに遭遇したのだという。
ホテルは高台にあったため、津波の被害はなかったものの、館内は危険ということで屋外退去。雪がザンザン降っていたため、観光バスの中に避難し、そのまま一晩を過ごし、次の日に十数キロの道を歩いて帰宅したという。

「ウヂのあだりは、本当に被害すぐながったんだ。今回本当に島に助けられだんだぁ〜」
観光ホテルや土産店が立ち並ぶ松島湾に面した松島海岸のメイン通りはかなり浸水したものの、何もかもさらっていった三陸のような暴力的な津波は免れたようだ。

「あっちこっちでいっぱい人が流さいだんだ。死ななぐでいがった人だぢもいっぱい流さいだんだぁ〜」
今回の津波では、一回目で避難できた人達が安心して、自宅に戻ろうとしたところに、二回目の更に大きい波が来て流されたという話しをよく耳にする。母は、本来助かっていたはずの人たちが、自ら死に行く格好になってしまったこと、特に多くの子どもたちの命が失われたことを、心底残念がっていた。

「この歳だげっとも、貰ったいのぢだがら大事にしねげねぇなぁ〜」
話し始めて、だいぶ時間が経った頃にはショックを隠せない声の中にも、母本来の気丈さが表れていた。

今は何も出来ないが、こうやって時々はなしを聞いてあげることで、少しでも母の励みになればと思う。


東日本巨大地震23・友部自動車学校教習再開について

2011年03月30日(水) 21時26分
友部自動車学校の営業・武藤様より下記の連絡がありました。
周知願います。

合宿ご担当者様

いつもお世話になっております。

友部駅までの主要交通機関のJR常磐線が、3月31日より「上野⇔勝田」の運行開始が決定しました。
教習の再開についても準備が整いましたので、4月7日の入校日より受け入れ開始を決定致しましたのでご連絡させていただきました。

しかしながら、推奨列車である特急列車は当分の間運休であり、普通列車も当面は速度を落として走るため、現在時間がつかめませんので、時間については4月5日までにご連絡致しますのでもう少しお待ちいただきたいと思います。

また、入校日の変更等についてですが、4月21日に予定されていた総合講習が、震災により延期となりましたので教習を行うこととなりました。

その結果、4/16〜4/20の入校日が下記の通り1日後ろへスライドとなりました。 ※なお、卒業予定日は同じで変りません。

(MT車入校日)
4/16(土) → 4/17(日)に変更
4/19(火) → 4/20(水)に変更

(AT車入校日)
4/18(月) → 4/19(火)に変更
4/20(水) → 4/21(木)に変更


また、シングルキャンペーンですが、当面女性のみのご対応(募集)をお願い致します。
男性の募集については準備が整いましたらご連絡いたします。。

誠に勝手なお願いばかりで申し訳ありませんがどうぞ宜しくお願い致します。


友部自動車学校 武藤


今回、シングルキャンペーン男性の募集不可なのは、男子寮が震災の影響で利用できないためです。
修理完了までの間、近所のレオパレスなどを臨時利用のうえ宿泊対応する予定です。
詳細が判明しましたら、また情報UPします。

ところで、今回は橋本部長不在の中、営業の武藤さんは大変なご苦労だったと存じます。
今しばらくこの状況が続くと思いますが、体調だけはくれぐれもご留意ください。

部長Y

相変わらず…

2011年03月28日(月) 0時36分
相変わらず近所のイオンはどうしようもない。

単純に商品が無いじゃ済まされないんじゃないかと思うほど、米、牛乳、水を中心に商品が無い。
生鮮食品以外にも、菓子類などの加工品まで例外なく、かなりの割合で商品棚自体ガラガラなのが目立つ。

その一方、トイレットペーパーが入ってきたかと思いきや、入り口前のゴンドラから普段催事で使う棚まで異常なほどにびっしり積み上げている。
とにかく、何だかよく分からない売り場構成になっている。

近隣には、いわゆるGMSではない中小のスーパーマーケットが点在するが、イオンほど品揃えや在庫の状況はひどくない。

では、お客が全てイオンに集中しているのかといえば、そうではない。
この週末も各スーパーマーケットはいつも通りの混雑ぶりだった。

こうなると、流通の問題やお客の買い占めを差し引いても、このイオン店舗の品薄状態に関してはマーチャンダイジングの弱さが主な要因と言わざるを得ないのではないだろうか。

いくら大量に売ってくれても、いかにも売ってやる的な上から目線&札束で横っ面をひっぱたくような、そんな商売をやっている小売店に品薄の在庫を卸したくないと思うのはどこのメーカーも一緒。

もしかすると常日頃のメーカーとの付き合いが、こういうところに出ているのかもしれない。
例えば、言葉でイメージすると、ビジネスは商いの大小が大事かもしれないが、商売は相手との信頼関係が大事。といったところだろうか。

日本も昨今ビジネスが主流といえど、いざとなれば浪花節は無視できない。いわゆるシロ・クロではなくグレーゾーンとして。
そしてこのグレーゾーンは特に緊急時などに威力を発揮するものだ。
あくまで主観だが、イオンのバイヤーはこの部分が弱いのかもしれない。

今回の震災では、各業界で様々な形の影響が出ているが、一方で常日頃の我々の仕事ぶりが試されているのかもしれない。
今回の流通の現状は、ブランド力のあるメーカーの主力商品の安定供給と、取引先同士の関係性を考えるうえで、見習うべきところがあるように思えてならない。






てヲとるアクション

2011年03月27日(日) 10時02分
てヲとるアクションとは?

身近な仲間との小さな食事会や飲み会を開く
割り勘なら500円をプラスして会費を集め
500円×人数分を復興支援に寄付

教習所の皆さんもご参加のほどよろしくお願いします

PDF資料はコチラ


詳しくは部長Yまでお願いします


お客様の親御様からコメントをいただきました

2011年03月26日(土) 7時12分
陸前高田ドライビングスクールで合宿教習されていたお客様の親御様から当ブログの記事にコメントをいただきました。
少しでも、教習所スタッフの皆様方への励ましになればと、本文に記載させていただきました。
以下、その文面です。


陸前高田のドライビングスクールの関係者の皆さん 私達の息子は 地震の時そちらでお世話になっていました

子供達を助けていただいて また大変な被災の中 家族の事も心配の中 大変な道路状況の中 大宮迄バスで送ってくれました

そちらでお世話なっている間 充実していて 皆さんによくしていただいたと言ってます 出来る事なら 続きもお世話なりたいと…

お世話なった分 一日も早い復興を願うと共に 今度は 私達がお返しする番だと思っています

大変だと思いますが お体に気をつけて 前を向いて頑張って下さい

本当に本当にお世話なりました ありがとうございました
感謝しています

微力だけど 復興の力に 元気になれるよう 一日一日を過ごして行くつもりです

まぁChan



まぁChanさん
ご子息も大変怖い思いをされたと思います。
まずは、心よりお見舞い申し上げます。

未曾有の大災害に、このあと日本がどのように変わっていくのか分かりませんが、お互いに助け合い頑張っていきましょう。
コメントありがとうございました。
ブログ管理者 部長Y


大地震のこと

2011年03月26日(土) 6時00分
都内某所での商談が終わり通りに出た直後に、あの大地震に見舞われた。

直後、宮城の実家に住む弟から入った1本のメールと1本の着信があったが、タイミング悪く出ることができず、それを最後に弟との通信は途絶えてしまった。

その後、東京都内に溢れかえる帰宅難民の波をかき分け、自宅へ戻りテレビを見る。そこに映し出されているその惨状は、阪神淡路大震災のそれとも違う、想像を全く超えた映像だった。

三陸の町が一瞬にして波にのみ込まれていく。

状況がうまく飲み込めず、しかし、ただ呆然としているわけにもいかず、消えゆく我がふるさと東北の港町の映像を繰り返し繰り返しテレビを通じ目の当たりにしながら、弟や母、叔母の携帯に繋がらない電話をかけ続けるだけの時が過ぎる。

しかしそのような状況下でも、心のどこかでは松島の実家に住む父や母、弟、近所に住む母方の叔母の家族は大丈夫だと思っていた。
それは地震直後に弟からメールがあったからではない。
ただの直感なのだが、しかし、そう思えてならなかった。

度重なる余震の中、悶々と一夜を過ごし、翌朝、ツイッターで松島の人を見つける。
実家付近のことを尋ねると「あの付近は津波も無く大丈夫」という返信。画像まで撮ってきてくれ、近所の避難所の電話番号まで教えてくれた。
その避難所に電話をすると普通に繋がった。
父や母、弟の名前を伝えるが、いないとのこと。
そこでいくつかの避難所の電話番号を教えてもらい、ネットで調べたものも含め、その後10ヶ所ぐらいに電話をしてみる。
しかし、どの避難所も「来ていない」との返事だった。


この時代らしく、パソコンを開けば次の日にも関わらず、続々と被災地の画像がアップされている。
そんな中で石巻や三陸の町が震災前と後の画像が比較できるようなサイトを見つけた。

幼少の頃まで住んでいた宮城県石巻市門脇町。
母方の実家があるこの町は、地震と大津波の直後に発生した大火事で、残った家屋のほとんどが焼き尽くされていた。

昔、母から聞いた空襲の話をふと思い出す。
B−29が飛んできて次々と爆弾を投下していき、バリバリと町が焼ける音を防空壕の中で聞いたという、そんな話だ。

グラフなどでたまに見る空襲後の焼跡・・・門脇はそんな姿になっていた。

グーグルマップで門脇の町を歩いてみる。震災直後の画像を見る。
これを何度繰り返しただろう。
どうすれば町がこのようになるのだろう。

実感が無い中、突然その場にいなかった事への罪悪感のようなものが急に気持ちとして沸き上がってくる。
なぜなのか分からないが、そのような感覚に一瞬陥ってしまった。


家族と連絡がついたのは、大地震から3日後だった。
突然の弟からの電話。
父や母、近所に住む叔母の家族もみんな大丈夫。と・・・
その時は、それだけを確認するだけで精一杯だった。
電波が悪い中、その他の人たちの様子までは聞けなかった。

それから数日後に弟と叔母に被災時の様子を聞いたところ、その時は家族全員バラバラだったのだという。
要介護者である父は山の方にあるデイサービスに。母は松島海岸のホテルに。弟は自宅に。叔母は仙台の病院に。叔父は塩釜の仕事先に。叔母と同居する新婚の娘夫婦は仙台の職場に。

弟の話では、大きい地震の直後はいつも携帯で母や叔母と連絡を取り合うのだという。直後であれば連絡が取れ、その後は不通になるので、手短にこのあとの行動を打ち合わせるのだという。

その時も彼らは同じ行動で、お互い連絡を取り合い、みんな大丈夫だということは分かっていて、それぞれその場に1泊して次の日に自宅に戻る打ち合わせをしていたのだという。



今回の大地震で、実家のある宮城県松島町は、幸いにも町を破壊するような大きな津波も無く、建物自体は内陸部と同じような被害で済んでいる。

島々が、町を津波から守ってくれたと報道されている。

しかし、かきなどの養殖関係は全滅と聞いている。
身の安全と建物が残っただけ何百倍もマシ、というのは被災地から遠く離れた我々の考えであり、隣町の東松島市のあまりの悲惨さに、それすら口にできない現地のすさまじさが想像される。

あれから仕事では、津波、原発と相次ぐ2次災害により、一時帰宅を余儀なくされたお客様や今回の地震によるキャンセルの対応におわれる。

1週間後、弟が石巻に住む親戚の家や避難所を1軒1軒バイクで訪ねてきたという。
津波の影響で、各家は流され無くなったり、何台もの車やバイクが玄関に突っ込んだりしていたが、親戚一同命だけは無事で避難所や自宅の2階で過ごしているとの事だった。

これからの事は、これからの事として、とにかく全員無事だった。と・・・

あの大地震の日から2週間が過ぎた。

3.11を境にして、あらゆることに対する我々ひとり一人の価値観が、ある意味で無意識のうちに変わってしまったのかもしれないと思う。

この大地震は、我々にとってそれだけ大きな出来事だった。

これから先、我々残された者たちに課せられた命題とは何なのか。
何をすべきで、何処を目指すのか。
見えない。全く見えていない。

今はただ、波にのみ込まれていった人々の無念、残された人々の悲しみを遠く安全な場所から想像するしかない。

パソコンを前に、そんな日々を送っている。





がんばれ!陸前高田市

2011年03月25日(金) 22時27分
名勝「高田松原」奇跡の1本、復興の象徴へ

東日本巨大地震の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で、国の名勝にも指定されている「高田松原」の数万本の松が、ほぼすべてなぎ倒される中、奇跡的に1本だけ生き残った。

すさまじい波にのみ込まれながらも、強く、まっすぐ伸びる1本の松の姿に、市民らは「街を復興に導く象徴だ」と、新たな希望を見いだしている。

同市の砂浜に広がる高田松原には、地震前まで約2キロにわたって松が植えられていた。市などによると、約350年前、塩害に苦しむ農家を助けようと地元の豪商が私財を投じて防潮林として植えたのが始まり。夏には約20万人の海水浴客が訪れる県内有数の観光名所だった。

折れた枝や漁具、船の破片などが散乱する砂浜で、たった1本だけ、枝も幹も無事だった。地元住民らでつくる「高田松原を守る会」副会長の鈴木善久さん(66)は「この生命力は、私たちに力を与えてくれる。何十年かかるか分からないが、復元に力を尽くしたい」と話した。


(2011年3月25日 読売新聞 朝刊より)

計画停電のエリアが25のグループに細分化

2011年03月25日(金) 22時12分
東電が今日、計画停電のグループ分けをさらに細分化すると発表した。
内容は、これまでの第1〜5までの各グループをさらにAからEまでの5ずつ、計25のグループに分け公表。あす26日から実施するという。
相変わらずのいきなりぶりだが、東電だから仕方無い(苦笑)
ちなみに会社のあるエリアは第2−Bグループ。
東電のサイトを確認したところ、
3月26日(土)、27日(日)の計画停電は実施いたしません。3月28日(月)の予定は、需給動向を見極めた上で、3月27日にお知らせいたします。
とのコメントだった。
それにしても、サイト内にある3/25(金)〜4/1(金)の計画停電(実施)予定表は第1〜5グループのままだし・・・

明日、明後日の計画停電中止は、電力量が足りてる足りてないの問題じゃなくて、ホントは自分とこの事情なんじゃ・・・なんて、勘ぐってしまうくらいデタラメぶり全開の東電。

というわけで、免とるの停電インフォメーションは来週月曜までお待ちください。




東日本巨大地震22・友部自動車学校再開のメドについて

2011年03月24日(木) 21時36分
友部自動車学校の営業武藤さんに教習再開のメドについてお話しを伺ったところ、4/5から見込みとのことでした。
ただし、移動手段の常磐線が友部駅まで来ない場合は土浦まで送迎バスを出すようです。また、一部宿舎は損傷により利用できないため、代替えの宿舎利用になるとのことです。
ご予約中の方には改めて当方より電話連絡させていただきます。

周知願います。


東日本巨大地震21・平泉ドライビングスクール再開のメドに...

2011年03月23日(水) 15時53分
いつも大変お世話になっております。
平泉ドライビングスクールの関です。

ガソリン不足のため本格稼働はまだ先になりますが、なんとか教習車を10台ほど動かせる準備が整い、明日から教習を再開できることとなりました。
当面は、教習に制限があるため通学生を優先的に教習する予定ですが、状況が良くなり次第近隣(岩手、宮城)の在籍合宿生、その後、関東方面の在籍合宿生を受け入れる予定でございます。
今のところ東北新幹線の復旧メドがたっておらず噂によると1ヶ月以上はかかるとのことで、関東方面から受け入れには
もう少々時間がかかると思われます。

在校中のお客様に対しては3/18にハガキをお送りして、今後の教習に関する希望調査を行っておりますが、今日現在での返信はまだ1割程度です。外から当校へは電話が通じない為、本日より在校生へ電話連絡(現況報告を兼ねながら調査を行っている最中です)を開始しました。
調査がまとまり次第ご連絡いたしますので今しばらくお待ちください。

また、数名の方から転校の依頼もございましたが、教習料金の精算、返金方法、対応についてはまだ検討中です。
明日、ある程度の方向性を確定させる予定となっておりますので、これも決まり次第ご連絡いたします。


教習所の電話やメールですが、ケーブルの断線により復旧にはまだまだ時間がかかる見込みです。
NTTには連絡をしておりますが被災地の災害復旧優先のため、当校の断線工事のメドは全くたっていない状況です。


しばらくの間、ご不便をおかけしますが何かございましたら営業宛まで直接連絡をお願いします。
とのことでした。

周知願います。




プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:Y部長
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 血液型:A型
  • アイコン画像 職業:自営業
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2002年「ローソンの運転免許」立ち上げのメンバー。以来、常に営業の最前線で活躍。メーカー時代の経験を生かし、「ものづくり発想」を取り入れた合宿免許に関する様々な企画商品やイベントを考案。「合宿免許プロデューサー」として地域の特色やスタッフの個性を生かした企画に定評あり。合宿免許を通じた地域活性化を目指す。2015年1月、株式会社トリオワークス設立。

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